走りながら自意識

いつも仕事へ行くのはぎりぎりの時間だ。
水道橋の駅から仕事場へ走るとき気がついた。
走り方や息の吸い方、表情を気にしている。

遅刻常習犯のため、既に走る事は「無責任ではない事の証明」という心境になっている。
まるで義理。

そうなると延々と走っているこの時間は、どのように自分を演出するかに裂くことになる。
偉そうでもいけない。
開き直ってるのもわざとらしい。
すまなそうなのはもっとわざとらしい。
無心なはずはない。
ラソンではない。
とりあえず走るでもない。

はぁはぁやってると前の人に聞こえて嫌な気持ちにさせるのではないか、と思うと口は半開きになり、さりげなく息をしてみる。するとみるみる間に頭がクラっときて、気持ちが悪くなる。


何のために走ってる自分を演出するのか。
自分には何の意味はない。
走ってる人を見て、人は色々考える。
「何がおきたの?人が倒れたか?」
「きっと遅刻だろう、だらしない。」
「ちゃんと走ってるんだな、自分はもう諦めてさぼるけど。」
「まぁ女の子なのにあんなに髪を振り乱して。だらしない。認められない。」
「うえぇぇええ、こえぇぇぇ」

走らないですむよう、余裕を持とう。

インターネット掲示板依存症

インターネットの掲示板に何時間も張り付く。レスがくるまで張り付く。レスがきてもレスして張り付く。レスが来なければ続けて書き込む。管理人でもないのに。
そしてそれほど知識があるかというと、そんなになかったりする。
そういう人を人は嫌う。

この人は相当の暇人なんだろうか?
お友達いないの?
ストーカーみたいできもい。
そして何より自意識過剰。

理由は色々あると思う。
掲示板というものに初めて触れて、とにかくウキウキハイテンションで沢山書き込む、もしくは書き込みがないと掲示板が消えてしまうと言う不安により、沢山書き込む。
慣れてくればそれなりにレスのタイミングや訪問者に居心地の良いレスの仕方もわかってくるはず。
でもずっと慣れないで同じ事を繰り返してしまう人がいる。
かくいう私もその一人である…。

正直、最近は掲示板に書き込むことじたいに恐怖を覚える。
この掲示板にはまりそうだな…と思うと、何時間でも張り付いてレスをする内容をずっと考えている自分が思い浮かぶ。
他に沢山その掲示板を利用する人がいるというのに。

…レスを考えている間は楽しい。自分の頭の中で色々な展開を想像する。そして現実ではそうはならないのだが、その時はその時でまた違うレスの仕方を考える。楽しいのだが…
他に沢山その掲示板を利用していた人が寄り付かなくなる。

寄り付かなくなると悪い事をした、と思う。
しつこかったかな?と書き込みをしてみる。
けれどそのうちふいに、誰か一人が来るたびに自分の家に誰か来たように振舞うようになる。
寄生…。


頭でわかっていればやめられることなのだが、感情がやめられない。


自分で掲示板を立てて気がすめばよいのだが、人を集める力が無い。

結局は興味をそらす、パソコンからはなれる…など自分が去ることで問題を解決させる。距離のとり方などわからないままで強制終了させる。いつまでも自分の何が原因でこのような状態に陥るのかがわからない。


自意識過剰…これにかかる一因として、集団の中でじぶんが認められていないという不安があるのではないか。根拠はある場合も、ない場合もある。
自分の存在が人に見えていない事が不安。こんなに大切な事を話しているのになぜ振り向いてもらえないのかと不安になる。
だから人にすがりつく。これでもかというくらいに何かをしゃべる。
けれどどんなに言葉を発しても届かない…。
振り向かせたいと思えば思うほど、言葉は浅くて当たり前の言葉になってゆく…。
そして必要以上に自分が特別な存在であるように振舞うようになる。
もしくはそのように振舞っているのではないかと過剰に不安が襲う。


この自意識の泥沼から抜け出すにはどうしたらいいのだろう。
この泥沼は生ぬるくて最初は気持ちいい。だが次第に冷え、体温を奪ってゆく。

あたりまえの自意識

生きてるって何のため?
当たり前ってそんなに悪いこと?
人と違ってるってそんなに悪いこと?
色々矛盾する悩みに日々支配されて安心できるのは明かりをつけていないリビングの中や着替えもせずにベッドに横たわり、深い眠りについてしまうとき。

何も見えず何も聞こえなければそれだけでいい時もある。

でも日々人は何かしらの刺激を受け、いろんな感情が押し寄せてくる。
自分が望もうが、望むまいが。

毎日この地球上で歩いている人一人一人がその場限りの刺激に踊らされて生きている。
時にそれは人を貶めたり、時にそれは感動の渦へ巻き込んだり、時に何かまったく今までと生き方を変えてみようと思ったり…様々である。

そしてそれを受容するのは一人一人の心の中にある。
感じることはそれを無意識に表現することにもつながる。
一人一人が毎日、当たり前のように色々な物事に刺激され、強烈な自意識によって表現する。
それが過度であろうと、全く表に出なかろうと、とにかく人の体からは色々なものがにじみ出る。