走りながら自意識

いつも仕事へ行くのはぎりぎりの時間だ。
水道橋の駅から仕事場へ走るとき気がついた。
走り方や息の吸い方、表情を気にしている。

遅刻常習犯のため、既に走る事は「無責任ではない事の証明」という心境になっている。
まるで義理。

そうなると延々と走っているこの時間は、どのように自分を演出するかに裂くことになる。
偉そうでもいけない。
開き直ってるのもわざとらしい。
すまなそうなのはもっとわざとらしい。
無心なはずはない。
ラソンではない。
とりあえず走るでもない。

はぁはぁやってると前の人に聞こえて嫌な気持ちにさせるのではないか、と思うと口は半開きになり、さりげなく息をしてみる。するとみるみる間に頭がクラっときて、気持ちが悪くなる。


何のために走ってる自分を演出するのか。
自分には何の意味はない。
走ってる人を見て、人は色々考える。
「何がおきたの?人が倒れたか?」
「きっと遅刻だろう、だらしない。」
「ちゃんと走ってるんだな、自分はもう諦めてさぼるけど。」
「まぁ女の子なのにあんなに髪を振り乱して。だらしない。認められない。」
「うえぇぇええ、こえぇぇぇ」

走らないですむよう、余裕を持とう。